#23 大失敗はこの身で確かめさせてくれ

大学生のまひる(真昼の深夜) が日常的に考えていることや悩んでいることを、映画や本、音楽などからヒントを得ながら”現在地”として残してゆく不定期連載『よどむ現在地 』。第23回は、塩谷舞さんのエッセイ「美しくあること、とは」を読んで、過剰な自意識で自己批判ばかりしていたところから、少し解放された話です。知り合いのみフォローしているInstagramで投稿したものなので、「Instagramで書くこと」に向き合うことにもなりました。




塩谷舞さんの運営するウェブメディア「milieu(ミリュー)」に掲載されているエッセイ「美しくあること、とは」がとてもおもしろかった。


塩谷さんの著書『ここじゃない世界に行きたかった』に載っていたので最近はこのことばかりを考えている。自己愛と自愛が、自己卑下と慎ましさが混同されてしまう世の中…。
この切り口は、圧倒的に美しさを表現することをある種の醜さとして捉えている自分を解体するには十分だった。解体の過程は始まったばかりで、その過程を逡巡として残しておく。




Instagramは使うのが難しい。
それは自意識と向き合うことそのものだから。
好きなものや見ているものや撮った写真など、自分から(直接)見えている世界を載せることにはあまり関心がない。
一方で、思考という自分から見えている世界については大いに関心がある。ここ2年ほどそれらをいかにアーカイブするかという試みを自分なり試しては消してを繰り返してきた。つい最近も、ひとつ試していたものが気持ち悪くなってやめた。
言葉にならない考えを話す場所も、ある程度まとまったことを書く場所も自分で作ってきたので、ここでは改めて呟き以上エッセイ未満の文章をアーカイブしていくことにした。(来月にはやっぱり気持ち悪くて嫌になっているかもしれない。)


放っておいても生理現象のように書いてしまうのだけれど、キーワードと数千字〜数万字のエッセイの間には膨大な瓦礫がたくさんあって、それらをどうしたらアーカイブできるかをずっと考えている。これもそのひとつになり得ると思ったので試している。
そんなものは公開せずにうちにとどめておいた方がよっぽど美しいのだと思うし、それらをこうしてアップすることはこの世でもっとも醜いことのひとつだと自分は思っている。だから、ストーリーズも投稿も、いつも身を切る思いでアップしている。


それほどまでしてアップしたいという自意識の過剰性が気持ち悪くてたまらないし、それを「気持ち悪い」と自己批判的になっている自分に酔っている可能性も否めなくてさらにキツい。最終的には、誰も興味のない肥大化した自意識のカタログが、日ごとに醜さを熟成させてネットの海を漂うことになることはわかっているのだ。書きたいと思ってしまうこと、そのこと自体がつらいし醜い。所詮、SNSにアップすることでしかその発見の、その思考の、おもしろさを最大限に享受できない現実認識能力の貧しい人間なのだ。しかし、それ以上に、ちょっと考えたことを忘れる前にアーカイブすることには魅力と可能性があるのだ。SNSにアップするという仕方ではない新たな現実認識の可能性が。そして、自分がおもしろいと思っているものを誰かがおもしろいと思ってくれたら嬉しいなどという幻想にいつも負けてしまう。それが嫌で嫌でたまらないのだけど、ここまできたらもはや、それでいい。


結果的にうまくいかないことはやらなくて良い理由にはなり得ないし、肯定できないことは否定ではない。これは、結果的に大失敗なのかもしれないけれど、先回りして大失敗だという自己批判を与えるのはバカげてる。大失敗であることはこの身で確かめさせてくれ。
「大失敗はこの身で確かめさせてくれ」という仕方で前のめりに自己批判性に立ち向かう。
塩谷舞さんのエッセイとMomの新曲『勝手にしやがれ!』によって、前のめりに生きていくことにほんの少しだけ肯定的になりはじめている。
自己批判のつらさよりも、誰のためでもないモンタージュを切り取った先に見える世界の方がよっぽど魅力的なのだ。



(おわり)

※本稿は2022年8月2日に書いたものです。


本文には入れられなかったけれど、書きながら頭に浮かんでいたもののリンクを貼っておきます。

・ももいろクローバーZ『なんとなく最低な日々』

今は2022年 目眩く渦の中見えてたものが途端に見えなくなっちゃったときはみんなの街に背を向けて誰のためでもないモンタージュをこしらえてやればいいどれだけ捉え所のない様相でも切り取ってみせるよ!ももいろクローバーZ『なんとなく最低な日々』


・Mom『解体』

頭の中で輝く景色はどんなものよりも美しくすぎて世界の見方も少しずつ分かってきたのさそういうことで今はそういうことで良いのだMom『解体』

何かがわかるようになっていくことは、「わからないこと」が可視化されることでもある。そうするとどうしても、何もわからない自分に批判的になってつらくなってしまうのだけど、少しわかって、(それが例え脳内で作り上げられたものであっても)世界が美しく見えているのだとしたら、それはそれで良いと言ってあげることってとても大事だと思うんです。


・奇奇怪怪明解事典『第119巻(後編)なぜ人は飯の写真なぞ撮影するのか』

我々は写真を撮るという現実認識の方法以外忘れてしまったのではないか?という問題提起は、自分の中で未解決ですがすごく関心があります。


真昼の深夜(まひる)

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