#24 奇奇怪怪明解事典を聴きながら東京を歩いていたら、『海がきこえる』に夢中になってた

大学生のまひる(真昼の深夜) が日常的に考えていることや悩んでいることを、映画や本、音楽などからヒントを得ながら”現在地”として残してゆく不定期連載『よどむ現在地 』。第24回は、東京を歩きながら見たこと聴いたことを記録したものです。




東京を歩いた。とにかく歩いた。
普段から出不精で堕落した生活を送っている大学生にとって、1日で歩ける量なんて知れている。
1日2万歩が限界だった。


新しい街を歩くときはなるべく耳で、そこで鳴っているを音を聴きたいので、イヤホンはつけない。
五感とはよく言ったもので、耳を塞ぐだけでぐっと、その土地を歩いている実感を失う。
一方で、疲れたときやつまらない道に入ってしまったときは、音楽やラジオに歩を押し進めてもらう。


この日は、浅草駅を降りてすぐの浅草文化観光センターを拝み、恐ろしい人混みに踵を返して隅田川沿いを歩く。

Photo by まひる
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スカイツリーが近くに見える。暑い。
とりあえずあっちの方に行ってみよう。


Photo by まひる
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東京ミズマチという新しく整備されたであろう川沿い高架下の施設を眺めながら歩く。


とにかく暑かったので、Podcast番組『奇奇怪怪明解事典』を再生する。
『第56巻(前編)ジブリ知らんやつが『海がきこえる』をみてみた』だ。




TaiTan「(雑誌『EYESCREAM』で特集した『海がきこえる』の誌面を見ながら)TaiTanめがこう言ってるわけですよ。『風がそよぐだけで人との関係性が変わることもある』と。生意気言ってんじゃねぇぞと。」

TaiTan「周啓くんの見出しにはね『脳の中で発火した電気が過去に向かって遡っていく感覚』」

玉置周啓「ほんと危険だよね。調子乗ってアーティスト然としたことばっか言ってると訳わかんねー抽象語の塊みたいになってさ」

TaiTan「これ、キツイな。俺らほんとこういうのに、テキストになると俺らってほんとろくでもねーなっていうのがね、浮き彫りになるんだけれども」


という、いつも通りの天邪鬼さが見え隠れする会話を聴きながら、少しずつスカイツリーが近づいてくる。


玉置周啓「確かに、俺の人生もこれくらい何もなかったんだけど、いろいろ思い返すと、それまでのその人の歴史が絡み合った上でそのコミュニケーションになってんだなって」


こうして音声を聴きながら散歩していると、音声と景色が記憶になって結びつく。

こういうのをプルースト効果というらしいのだが、今回もそれが働いた。
『海がきこえる』の舞台は高知県なのだが、自分にとっては浅草からスカイツリー周辺と結びついている。

Podcastを聞き返すと、どの話をしているときにどこを歩いていたかを思い出せる。


気づけばPodcastは、「思い返すとまだ完結していないあの時のコミュニケーション」話に展開していた。


とにかく、小説の『海がきこえる』も良かったらしい。
これは「てか、挿絵の里伽子の方がかわいくね?」というの聴きながら撮った写真。


Photo by まひる

それからというもの、目に付く書店に片っ端から入っては小説版の『海がきこえる』を探した。

如何せん、99年の小説なのでなかなか見つからない。
見つからないまま最終日を迎え、帰り際に丸善 丸の内本店でやっと発見した。


Photo by まひる


新幹線で車窓にたまに目をやりながらページをめくる。


都会から高知へ、高知から都会へ。
自分の東京散策と重ねていた。
8, 90年代の少しじめっとした感じ。
ノスタルジーしかないと言われればそこまでなんだけれども、なんだか好き。
なぜだか、じめっとしたところに生活を感じるのだ。


品川から隣の席に座ってきた30代くらいのビジネスパーソンが、びっしり予定が詰まった手帳とひっきりなしに届くメールと眠気にうんざりしながら、頭を揺らしたりぼーっとしたりする。
次第に増えていくアイスコーヒーの結露がその人の何かを表しているようだった。


都会も大変なんだなぁ。



Photo by まひる

帰宅すると『海がきこえる』のBlu-rayが届いていた。
ブックレットを開くと鈴木敏夫プロデューサーのコメントが掲載されていた。


「企画モノは、いつだって誰かの不純な動機から始まる。今作の場合、それは徳間書店の編集者だった三ツ木早苗である。彼女は最初から目論んでいた。当代の大人気作家だった氷室冴子さんに本を書かせ、その原作をもとに映像化する。なにしろ氷室さんは、当時、集英社のお抱え作家で、そこへ徳間が食い込むことは至難の業だった。それをジブリを餌に実現したのだから、見事という他は無い。」


ちょうど、出版社の政治ゲーム活劇映画の『騙し絵の牙』を前夜に見たところだったので、このコメントが映画の臨場感と重なって想像された。


「ぼくと里伽子のプロローグ」というキャッチには少々おじさん的な気持ち悪さも否めないが、「舞台は土佐高知。やがて都会に出て行く高校生たちの青春群像。」こんなフレーズを書ける彼に舌を巻く。



ふたたび帰りの新幹線を思い出していた。
寝ているのか起きているのか、何かを考えているのか何も考えていないのか、嬉しいのか悲しいのか、楽しいのかつらいのか、何もかもが読めない隣のその人は、ギターソロがはっきりきこえるくらいに音漏れする大音量で、佐藤竹善の『はじまりはいつも雨』を何度も何度も聴いていた。


この文章を書きながら初めてこの曲を聴いている。
経験したこともないのになつかしい感覚。


『耳をすませば』のその後を描く映画が公開される時代だ。
そこには、『海がきこえる』と交差するもうひとつの物語があるようだった。



Photo by まひる

(おわり)


追記;

もちろん、奇奇怪怪明解事典が渋谷PARCOで開催していたイベント『品品』も行きました。

Photo by まひる
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※この文章は2022年9月16日に書いたものです。

参考資料

真昼の深夜(まひる)

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