#15 思考のモノカルチャー化から脱却する

大学生のまひる(真昼の深夜) が日常的に考えていることや悩んでいることを、映画や本、音楽などからヒントを得ながら”現在地”として残してゆく不定期連載『よどむ現在地 』。第15回は、『#11 世界に小さな覗き穴をこじ開ける 』で書いた「意志と責任」の問いを足がかりに、決断主義の諦念に寄り道しつつ、思考のモノカルチャー化から脱却することで解放される苦しみがあるのではないかということを考えます。


目次

自由意志と決定論



 『大豆田とわ子と三人の元夫』『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』『ロキ』『フリーガイ』と今年は自由意志と決定論がホットな年だった。去年でいうと、『100日後に死ぬワニ』なんかもまさにそうだ。

参考資料

 自由意志と決定論はしょっちゅう扱われている題材ではあるものの個人的にはほとんど興味がない。というのは、自分の人生が自由意志であるか、決定されたものであるかということは言ってしまえばわからないからだ。そして、わからない上に決めてしまうことに意味が見出せないからである。自由意志と捉えた方が楽な時もあるし、決定論として捉えた方が楽な時もある。ロマンチシズムもその狭間にあるんじゃないかなんて思ったりする。

 このようにして、完全に興味の対象から外れてしまった自由意志という問題に、「自由意志には責任が伴う」という、至極当たり前の因果によって引き戻されることになる。


 意思と責任については、どこから照射するかによって見え方が変わる。

 例えば、「責任を取ることは可能か?」という内田樹(敬称略)の『困難な成熟』的な問いを設定すると、「責任を取ることは不可能である。しかし、責任を取らないことには気持ちの落とし所がない。従って、人々が『責任を取る』というパフォーマンスを気持ちの落とし所にすることで世の中が回っている」といったような展開が待っている。一方で、「自由意志は存在するのか?」という國分功一郎(敬称略)的な問いを設定すると、「純粋な意味で自由意志は存在せず、全ての意志は”何か”に影響を受けて生まれている。その”何か”とは、責任を問うべきもの(人)である。」といった展開が待っている。

 内田樹的展開は『#11 世界に小さな覗き穴をこじ開ける 』で書いたので、今回は國分功一郎的展開をもう少し掘り下げてゆく。



國分功一郎的「責任」



 9月某日、いつものごとく面白そうな番組はないかと、ラジオ局・Twitterを徘徊していた時のことである。

國分功一郎のツイートで『カルチャーラジオ 日曜カルチャー 「人間を考える〜共に生きる〜」』という番組の存在を知った。


 國分功一郎は「人間を考える〜共に生きる〜」という連続講座の中の一つを担当していた。担当講師は他に、美学者の伊藤亜紗(敬称略)(他者に「さわる」「ふれる」とでは微妙な違いがあり、「さわる」は一方的な行為であるのに対し、「ふれる」には心の交流が含まれると伊藤さんはいう。本当に相手のためになるようなふれあいとはどういうものか「利他とは何か」という話がとても面白かった。)、小児科医の熊谷晋一郎(敬称略)(「コロナ以前は障害者だけが経験してきたさまざまな困難や不便さを、いまやすべての人が経験するようになった」という。今回は、「コロナと障害」という観点から、いま障害者と健常者は協力し合ってよい社会をつくる方向へ向かっているかについて)、精神科の斎藤環(敬称略)(現在どのような分断が起きているのかを詳しく説明。その分断をいかにして修復していくか、うつ病やひきこもりなどの治療に大きな成果をあげているケアの手法「開かれた対話=オープン・ダイアログ」にふれながら考える)と、さまざまな観点からのお話が聞ける。

参考資料

 國分功一郎の講座の内容は次の通りである。

 1つの共通テーマで各界の著名人に語っていただく連続講座。今回は「共に生きる」というテーマで、現代社会における人と人とのつながりについて、4週に渡ってお話をうかがいます。第1回目は、哲学者で東京大学准教授の國分功一郎さん。國分さんがフォーカスするのは「責任」。私たちは責任があることによって、一緒に生きていて、人の温かみを感じられるのではないかといいます。哲学的な視点から「責任」というものを考えます。


 この放送は新しい扉を開いてくれる示唆に富んだ内容だったように思う。内容は次の通りだ。

 まず、既存の意志概念を疑うことから始まる。現代社会は自発的な意志を当然の概念として受け入れている。

 「あなたの意志で選択し、選択したならば、そこにあなたの意志が存在する。そして、その選択には責任が伴う。」

 例えば、授業中に居眠りをしている生徒がいるとしよう。その生徒は昨晩、趣味に没頭して夜更かししていたとのだとしたら、「あなたの意志で夜更かししたのだから、授業中には居眠りしないという責任を取らなければならない」と非難されるだろう。一方、その生徒は家庭が経済的に貧しく、家族を養うために夜勤をしていたとすれば、「大変だな。よく頑張ってるな」などと労いの言葉をかけられることも、ひょっとしたらあるのかもしれない。(これによって、貧困は再生産されることになるかもしれないということについては別の機会に譲る)このように、実際に「授業中に居眠りしている」という状況に対して、責任を問うべきだと判断した際に意志という概念が導入される。

(追記:この例えは、國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』(2017)でも使用されていた。)


 内田樹が責任を取ることはできないといったのは、なかったことにはできないという意味で、だった。それに加えて、責任をたどるとどこまでも遡れてしまう(“風が吹けば桶屋が儲かる”を逆に辿るような感覚)という点でも、真の意味で責任を取ることはできないだろう。真の意味で責任を取ることはできない。だから、いい感じのところ、つまり責任を問うても良いだろうと思われるところでブツッと切断して因果をつけて、その「因」を「意志」とする。これが現代社会で我々が当然のように受け入れている意志である。

 ここに『「意志」は純粋に自発的なもの』VS『「意志」は「責任」による内包的なもの』という対立が発生する。先ほど確認したように後者の考えによると、「責任」を問うために「意志」による時間的な切断が行われる。しかし、我々は時間の中に生きているため実質的な切断は不可能である。ここに意志の矛盾が発生する。

 ではなぜ、この矛盾した「意志」という概念を我々は使用しているのか。それは「責任」があるからだ。

 イタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンは「『意思』は西洋文化においては、諸々の行動や行為や所有している技術をある主体に所属させることを可能にしている装置である」といった。つまり、「意思」はシェアされた持ち物を誰かの私有財産にする。そして、所有物の「責任」は所有者が取ってくださいね となる。現代はこの「所有」が広範囲になりすぎているのではないか、というのが國分さんの問題提起だ。

 つまり、我々が最も親しんでいる「責任」の概念は「行為の私有財産性」と切り離せないのであり、「行為の私有財産性」は「意思」の概念に結びついている。しかし、先述の通り「意思」は無理がある概念である。これは、現代の「責任」という概念は非常に危うい概念の上に成り立っている意味するため、やはり「意思」は批判的に検討しなければならない。といったような思考のプロセスだ。

 その上で、「責任」という概念を組み立てなおさないといけないんじゃないか?ということで話は進んでゆく。これまで、國分さんは「意志」の批判をしてきが、「意思」概念の捨てがたさも同時に語っている。ここでは、それについては割愛する。



 さて、現在、責任を含む言葉でよく耳にするのは「自己責任」であろう。自己責任論は現代社会を代表する大きな問題なのではないかと思う。

 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(2008)的な語り口でいうと、自己責任論は9・11や小泉純一郎によるネオリベラリズム的な構造改革やそれに伴う格差社会の浸透した社会を表出している。

 70年代以降、ポストモダン状況が進行し、消費社会の自由と豊さを引き換えに、それまで人々に物語を与えていた国民国家などという「大きな物語」が消滅した。このことによって、外から人生の意味づけを見出せなくなった結果、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジがロボットに乗って社会的承認を得るという社会的自己実現より、自己像を無条件に愛してくれる人を求めているようになったのだとしたら、そのような社会=「大きな物語」を織り込み済みの前提として、それでもなお生き抜こうとしたのは『DEATH NOTE』の夜神月であったと言う。

 そうまでして、月が自分の力で生き延びなければならなかったのはまさに、ゼロ年代前半に、時代が「引きこもり」から「決断主義」へと移行していったからではないかというのが、『ゼロ年代の想像力』だ。

参考資料

 「信じたいものを信じれば良い」という「究極的には無根拠であることを織り込み済みであえて」と決め打ちで選択する決断主義的な選択で選んだ人生にも、責任が伴う。

 そう、自己責任論だ。


決断主義的な人生を受け入れて生きるためには



 ここで、國分さんの話に戻すと、國分さんは自己責任論の英訳は「at your own risk」が最適なのでないかと考える。

 自己責任論といった思想が出てくるには経済的背景=グローバリゼーションなどがある。グローバリゼーションの特徴の一つに「中間団体(終身雇用の会社など)が破壊される」というのがある。これは、グローバリゼーションには非合理的(=個人の自由を縛る)だからである。グローバリゼーションはグローバルに単身で個人が放り出される。これは同時に自由を獲得することである。しかし、中間団体には既得権益など反省しなければならない問題はありつつ、個人を守る場所は必要ではないだろうか。関税障壁の撤廃など、資本の欲望にしたがった結果が現在であるのだ。

 そうat your own risk。


 自己責任論を通してもわかるように、我々は「個人」という概念に守られていると同時に、「個人」という概念に追い込まれている。もはや、個人の概念の暴走だと國分さんはいう。

 例えば医療における”意思決定支援(インフォームドコンセント)”は個人には重すぎるのではないだろうか。

 これに対し、小児科医の熊谷慎一郎さんの次の言葉を引用する。

自分のことは自分一人で決めない


 人は自分の欲望形成をやってもらえる仲間がいないと非常に苦しくなってゆくのだ。そしてまたしても熊谷慎一郎さんの言葉を引用する。

自立とは依存先を増やすこと

 至言である。


 これはやがてこの文章の本題へと繋がってゆくのだが、いったん私有の話に戻ると、私たちは「行為までも私有のもの」にしていることがわかる。つまり、私有が極端になっている状況が苦しい状況を生んでいるのではないか。さて、私有財産性を否定するのはコミュニズムである。よって行為のコミュニズムが必要なのではないかと國分さんは提案するこれは、話しかけられたときに話を聞いてあげる=応答責任ないし応答(responsibility)になりうる。

 改めて整理すると、今の世の中は個人の中に所有が突き詰められていて、at own your riskになり、応答(responsibikity)の契機がなくなっている。これに対立できるのはコミュニズムなのである。


 とはいえ、近代の私有財産性は重要であり、この大前提の上で乗り越えなければいけない壁があるのだ。

 その壁をいかに乗り越えるか、弁証法的に確認してゆく。

 そもそも意思決定支援(インフォームドコンセントなど)はなぜ生まれたか?

→元々パターナリズム(医者が勝手に自分のことを決めてくる)があったから

→自分のことを他人が勝手に決める=主権侵害

→当事者主権を取り戻そう!

→ただ、自分のことを自分で決めるのには盲点がある。盲点=自分のことを自分はよくわからない

→「自分のことを他人に決められる(主権侵害)」ことへの反発として「自分のことは自分で決める(当事者主権)」が出てきたが、それは一個人にはあまりにも重荷であり、我々は「自分のことを自分一人では決定しない」に向かっていくべきなのではないか


 かくして、鮮やかに自己責任論へ立ち向かう術を提示してくれた國分さんであるが、著書『中動態の世界』共著『利他とは何か』で応答としての責任についてもっと掘り下げていると思われるので、近いうちに読んでまとめたい。


 リアルタイムで苛まれている 自己責任論は「大きな物語」のない現状(決して悲観ではない)の表出なのかもしれない。だとしたら、我々は、決定主義的に生きてゆくしかないのだろうか。

 決定主義を初めて知ったときは、世界はそうやって回っているのか…というある種の諦念と、いやそうやって生きても良いんだよなという救済の両方が同時に頭に浮かんだ。故に、まだ諦めたくない”何か”がある。

「究極的には無根拠な信じたいものを信じる」ということに諦念を抱いたことは、こころのよりどころの代替可能性について抱いた諦念に近似している。もっといえば、『花束みたいな恋をした』で描かれるアイデンティティの不安定さは決断主義の延長線上にあるのではないかと思う。


 この事実を考えると、決断主義による諦念を乗り越えてゆくには、こころのよりどころの代替可能性よろしく、その”出会い”に必然性を問うのではなく、出会いの必然性をも凌駕する文脈を丁寧に築いてゆくことに他ならないのだ。


無感情の体力



 10月は精神・身体的に調子の悪い1ヶ月だった。つらい という感情が生活の大半を占めていた。

ここには、「つらいと思おう」という力学が働いていたように思う。

 これには理由が二つある。一つは、感情がない状態に耐えられないことだ。もう一つは、課題が非常につまらなかったこと。


 まず、前者について。10月なかば、家にいる時はほんと何もできなかった。出席単位ギリギリで卒業した高校の時くらい何もできない。経験上このままいくと食事も睡眠も取れなくなっていくといった状態。こういう現象は今年4度目くらいだけど、まだ対処法がわからない。(いい加減分かれよ。今回は、大きな一歩かも?)

 高校生の時も今も同じく「つらい」という感情で生きている。とにかくつらい。目が覚めた瞬間からつらい。毎朝のようにベッドの中で「ああ、こうして死に向かって行くのだ」と思う。今回の「つらさ」はかなり重たくて、喫緊の課題にすら迎えなかった。

 なんでつらいんだろう。ひとつは現実逃避なんだろうということはわかっている。父は「悲劇のヒロインにはなるな」と言った。わかっているからこそ尚のことつらい。

 もうひとつは、快楽ジャンキーになっているんだろうなということがわかってきた。今の自分の感情は「楽しい」と「楽しくない(楽しくはないだけでつまらないわけではない)」の二つに大別されて、「楽しくない」=「つらい」と誤解してしまっているのだと思う。

 その原因は、常に何かを感じていないと気が済まない感情ジャンキーになっているからだと思う。「何も感じていない」状況に耐えられず、自分から感情を生み出そうとする。そういう時には楽しくなれないので、エモや寂しさといった負の感情に安易に手を伸ばす。

 エモという締め付けられる心臓の快楽に生を実感しようとしている。決して満たされることのない、そしてそのために求め続けてしまう快楽。エモは快楽の消費なんだ。

 そして、この種の「つらさ」は快楽なんだ。


 「何も感じていない」空白を埋めるために、この快楽を求めてつらくなろうとする力学が働いている。楽しさとつらさを貪る興奮ジャンキーはそう長く持たない。

 なぜ、「何も感じていない」ことが耐えられないんだろう。安易な興奮が手のひらサイズに収まってしまっている今、次から次へと興奮を求めてしまう。スマートフォンによってもたらされるタイプの鬱なんだろうなぁと思ったりする。自覚するのはとても苦しいけれど。そんなに弱い人間だなんて思いたくないし。

 しかし、我々の意思をはるかに凌駕する興奮を提供する開発者たちには敵わない。「大人なら、暇な時間は興奮しよう」だなんていう恐ろしいCMがあるように、もう、ひとときも休むことなく興奮していたい。

 この欲求には意思で対抗したって敵わない。もはやドラッグだ。

2020年にNetflixで配信された『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』を見てから、SNS的興奮に意志で立ち向かうのは(強がるのは)諦めた。



参考資料

 意志で立ち向かえないように設計してあるのだ。ならば概念で立ち向かう。

 何も感じていないことが耐えられなくて、「つらい」という感情を捏造する僕は、時間的体力というものがなくなっているのかもしれない。


何も感じていないことに耐える体力。


 これを鍛えるには瞑想しかないのではないか。


 あらゆる捏造されたつらさは、シャボン玉が弾けるようになくなっていく。決して楽しくなるわけではない。そこにあるのは無である。無を受け入れなければならない。

 母は最近読んだ本に「生きるとは平穏に死ねるようになること」と書いてあったと話した。すごく納得できる。

 この世の執着を一つ一つ取り払っていくことが生きることなんだと最近はすごく実感する。(ネルケ無方『なぜ日本人はご先祖様に祈るのか ドイツ人禅僧が見たフシギな死生観』(2015)を読んでより考えるようになった。)


 つらさは執着の塊である。そして、執着をなくしていった先には無があるのだ。

 きっと。

 これからかならず対峙しなければならない無に向けて、今できることはやはり、瞑想しかないのだろう。

いや、いつか無と対峙するのではなく、この瞬間の無を受け入れるのだ。


参考資料


行動が感情を生み出す



 「無感情の体力」をみても明らかなように、感情に左右されすぎている。


 某日、帰り道、考えていたこと。1,2年ほどでマスクをつけるのが当たり前の社会になった。

今いる環境で知り合った人の素顔なんてほぼ知らないし、なんなら一度も見たことがない人だっている。そんな中で、このご時世が落ち着いてマスクをしなくなる日のことを思い浮かべるとなんだか恥ずかしかった。


 なぜ恥ずかしいのだろう。


素顔なんて、数年前まで何の恥ずかしげもなく(醜態を)晒していたのにも関わらず、同じ行為が今では恥ずかしい。


 不思議。


 以前、マスクをしないことに恥ずかしさを伴わなかったということは、「マスクをしない」という行為が恥ずかしいのではない。つまり、この恥ずかしさは、「マスクをした」ことによって生まれたものである。これはすなわち、顔を「隠したこ」とによって生まれる恥ずかしさなのである。

 そう思うと、「ネガティブな感情が先にあるのではなく、ネガティブな行為によってネガティブな感情が生み出される」という図式はあらゆる場所に当てはまるのではないかと思うようになった。

 例えば、自分は外見を整えることが死ぬほど恥ずかしい。服でも、靴でも、髪型でもなんでも。「この服、良いやん」という感情自体が既に恥ずかしい。今までは、「服を気にいる事がなぜ恥ずかしいのか」を考えてきた。もちろん理由は幾つか浮かんだ。例えば、自分の事を身だしなみを整えて整うような洒落た人間ではないと思っているとか、自分の身体という”側”は自分とは認識していないとか、色々。

 しかし、自意識という一言で括る事ができそうなこれらの理由を、自意識という一言でくくった途端にこぼれ落ちる何かがある。そこで先程のような行為が感情を生み出しているという図式に当てはめてみると、「服を買いに行かない」「靴を買いに行かない」「美容院に行かない」などといった行為や「整えることに関心を持たない」という行為そのものが感情としての関心を阻害しているのではないかと思い始めた。

 おそらく今挙げた例以外にもこの図式に当てはまることは想像以上にたくさんある。

 嫌なこと、苦手なこと、恥ずかしいことなどのにネガティブな感情は、ひょっとしたら潜在的な感情として存在するのではなく、ネガティブな行動から生まれるものなのではないか。

 ほっといたらあっちに向かっていってしまうけど、あっちには行かない方が良い ってことが世の中にはたくさんあるんだと分かった。

2022/3/24 追記

認識による救済



 また、「つらい」と感じる無感情を避けるための力学が働いているだけでなく、「わからないからつらい」という構造もある。

 例えば、社会の構造がわからないとつらい。これは自分のことがわからないことを意味するからだ。オリンピックの期間や衆院選、大学の講義などでもこのつらさは発生した。


 「わからないからつらい」とはどういうことなんだろうか。わからないことによる”つらさ”とは、わかっているはずだ、わかっていてほしいという期待に対して、”わからない”という現実があることで生み出される。

 なんと謙虚さの足りないことか。高慢なのだ。何事にも畏怖の念を。畏怖の念を抱く、という言葉で思い出すのが、夏休みのことである。

 名古屋の街の歴史について調べてみたところ、自分は歴史のフロンティアを生きているのだという高慢さはどこかへ消失し、”過去から今までの文脈を未来へつなぐ”という覚悟のようなものが芽生えた。


 これと全く同じ感覚を、雑誌『モノノメ』創刊号 の「座談会 復興、防災、地方創生」の中で星野リゾートの菊池昌枝さんがおっしゃっていた。

滋賀に移住して古い町家を買いました。買ったというよりかは借りている感じがするんです。使わせてもらっているという感覚です。こうして昔から使われてきたものをつなげていく方が大事だと思うのです。いま住んでいるのは1000年ぐらい続いている街なんですが、その土地の記憶みたいなものを持って生きている人たちが集まっているんです。そのなかによそ者として入って130年ぐらいの歴史を持つ建物を使わせてもらっている。こうして建物を磨いているうちに見えてくるものがあるんです。感覚とか感情とか文化とか言語化するのが難しいものを過去から未来に繋げていく感じです。(中略)人間の持つこういう感覚を無視してはいけないと思います。


 とにかく、日々、わかりたいと思って生きている。これは大きな人生の原動力だ。

 しかし、”わかりたい”の先には”わからない”が待っており、そして”つらい”に至る。


 ”わかりたいこと”と”わからないこと”についてもう少し考えてみる。

 自分という球体があり、その中心に原子核のような自分の核があるとする。その核と自分という球体の外に広がっている世界との距離感が興味なのではないか。そして、わかりたいことがわかった瞬間の何にも変え難い興奮と多幸感は、自分という球体の殻を破り体積を拡大させた瞬間に得られるものなのだ。こうして、自分と他者の境界を”わかる”を通して破壊→拡大させることでまた、表面積は大きくなり、興味のある他者が増えてゆくのだ。

 この境界線をシュタイナーは苦と楽でいえば苦の方だとした。知ること、わかることで、苦という境界線を、枠組みを越えて行くからこそ楽になる。これをシュタイナーは”認識による救済”と言った。

参考資料

 物理学が万物を一つの体系で記述することを目標としているならば、自分は自分の思考を一つの体系で記述することを目標としている。

2022/3/24 追記

 そういう意味では、自分を突き動かす動機として”認識による救済”は体系の上位に位置するように思う。

 ”わかりたい”という欲望があるから、”わからないつらさ”が生まれるのは必然だと思っていたが、”わかりたい”ことと、”わからなくてつらい”ことは必ずしもセットではなくて良いと思うようになった。

 わからないつらさで生きるよりも、わかった喜びで生きる方がどれだけ楽しいか。


 これは、立体物に対し照射する角度によって変化する影を見ているのと同じように、同じ状況を異なる角度から照射しているにすぎない。まさにこれは、問題を読み替えることで乗り越える認識による救済であり、哲学なのではないかと思ったりする。

先ほど引用した 雑誌『モノノメ』創刊号 の「座談会 復興、防災、地方創生」では、これからスポンジ状に空き家が増えていく都市はスクラップアンドビルドで向き合ってゆくのではなく、建築を読み替えることで向き合ってゆくべきではないかという方向に議論が進んだことを考えると、やはり我々はこれから”読み替える”ということに意識的に向き合ってゆかなければならないのだろう。

その先に、認識による救済が待っているはずだから。


思考のモノカルチャー化から脱却する



 そして、つらいと思おうとしている力学が働く理由の後者、課題が非常につまらなかったことについて。

 なぜ、課題がつまらなかったのだろうか。それはきっと生活の全てが課題に内包されてしまったからである。


 10月の、いやこれまでの生活の敗因は課題を、生活ないし心の中心に置いたことにある。課題を主軸に置いてしまうことによって、全興味を課題にぶつけてしまう事になる。しかし、そういった全興味を一つの建築として形にすることは非常に困難であり、上手くいった試しがない。ここに大きな過失がある。課題に全アウトプットを期待してはいけないのだ。

 そこで、アウトプットの分散を試みることにした。そのために、対話のできる友人をいかにして作るかという問いに向き合った。実際に、生協の書店の選書から始まるコミュニティをつくろうだとか、同大学の人とPodcastをやろうだとか、一週間に一度必ず会う日を決めようと、いろいろ考えたが、友達づくりなど一朝一夕にできるものではない。またしても、絶望の奈落へなす術なく落下するのである。

 それと同時に、こうも思う。


アウトプットを友人との対話に頼ろうとしているのが間違いなのではないか?


 そう、課題に全アウトプットを期待したように、友人に全アウトプットを頼ろうとしていた。過ちは繰り返す。そして、熊谷慎一郎の言葉を思い出すのだ。

自立とは、依存先を増やすこと


 なるほど。何か単一のもの(ないし、ごく少数のもの)にアウトプットを頼ろうとしている時点で、いくらアウトプット先を試行錯誤しようとも自立はできないのだ。きっとまたここへ戻ってくる。依存先が単一であると、その依存先がなんらかの理由で立ち行かなくなったら、生活レベルに支障が出る。そう、モノカルチャー経済のように。ゆえに、意識的に思考のモノカルチャー化から脱却しなければならない。

 そこで、いくつか方法を考えた。読書という著者との対話でインプットとアウトプットを同時にするためにもできるだけ図書館へ通う。SNS上でのコミュニケーションを積極的にとってみる。Poacastをより居場所として機能させてゆく。そして、より少ない問題意識を課題で解く。ということだ。これからも増減を繰り返し、うまく落ち着かせてゆきたい。


 今回も、状況は変わらないのに捉え方が変わることによって世界が変わるという体験をした。問題を読みかえたに過ぎないのだが、書いてゆくうちに、ひょっとしたらこれは最も大切なことなのかもしれないと思うようになった。

 ある問題に対してパワーで正面突破するのが自己啓発であるなら、問題を読み替えることで乗り越えるのが哲学なんだと思う。

(おわり)

2022/3/24 追記

※本稿は2021年11月18日に書いた文章を加筆編集したものです。

参考資料

真昼の深夜(まひる)

Podcast番組『あの日の交差点』およびWeb版『あの日の交差点』を運営。


【関連】

Copyright © 2022 真昼の深夜 All Rights Reserved.